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都民の財産が「知らないうちに破壊」の危機 築地市場跡地の浴恩園は「吉野ケ里遺跡」にはなれないのか

2024-08-13 HaiPress

5万人収容のスタジアムなど大規模な商業開発の計画が進む築地市場(東京都中央区)の跡地。その地下には都が旧跡に指定している江戸時代の庭園「浴恩園(よくおんえん)」の遺構が眠っている。ところが、都は遺構の調査や情報公開に後ろ向きで、「存在を無視して開発ありきで事業を進めている」との批判の声が文化財の保全団体などから上がっている。近年の検証があまり進まず「知る人ぞ知る名園」と呼ばれた浴恩園。忘れられたまま、消え去ってしまうのか。(森本智之)

◆東京ならでは、海を取り込んだ日本庭園

「日本庭園と言えば、京都でしょうが、京都には海がない。水に恵まれた江戸では、海水を池に取り入れて潮の干満で水面に高低差をつくり、景観の変化を楽しみました。江戸ならではの大名庭園の特色です」

2021年、その来歴をまとめた「天下の名園浴恩園」を自費出版した高橋裕一さんは言う。「潮入りの池」と呼ばれ、現在は隣接する浜離宮恩賜庭園に残るだけだが、浴恩園にも春風の池、秋風の池の2つがあった。「春風の周りは桜、秋風はモミジを植え、散策して四季の移ろいを楽しんだ」という。

浴恩園を描いた絵図=国立国会図書館デジタルコレクションより

つくったのは、江戸時代後期に老中首座として寛政の改革を主導した松平定信。生涯で五つの庭園を築いた。庭園は大名の私的な空間だが、中には身分に関係なく誰でも訪れることができる南湖公園(福島県)もあり、進歩的な人柄で知られた。寛政の改革で非常時の蓄えとして始めた七分積金(しちぶつみきん)は明治期に東京市に引き継がれ、まちづくりに使われるなど、近代の東京ともゆかりが深い。

◆都職員がまとめた資料見て「宝物が埋まっている」

高橋さんは都職員として公園行政に携わってきた。浜離宮の管理所長を務めた経験などから浴恩園の存在を知ってはいたが「調べてみると、一つにまとめた資料がなかった」。それが執筆のきっかけだった。

浴恩園一帯は明治時代に入ると海軍が使用。関東大震災後、日本橋にあった市場が移転してくることになり、池は埋め立てられた。その後、市場正門脇に旧跡指定を伝える案内板が掲示されたが、知る人は多くはなかったようだ。

2021年夏。高橋さんの本出版を伝える東京新聞記事を「関心を持って読んだ」のが、旧建設省土木研究所で研究員を務めた長屋静子さんだった。専門は都市計画で研究員時代の1988年、再開発で市場に隣接する築地川の埋め立て問題が持ち上がると反対の市民運動に参加。だが、浴恩園のことは知らず「土の中に宝物が埋まっている」と思った。

長屋静子さん

秋になると、都は再開発に先立ち埋蔵文化財の予備調査を始めた。そこで池の護岸とみられる石積みが発掘された。池が埋め立てられた経緯は不明だが、築地市場の建設を請け負った業者によって、池の保存工事の写真が残されていた。長屋さんは「地下にはきれいな状態で池が残っている可能性が高い」と考えた。

◆本調査行わず「重要じゃない」と結論

ところが、再開発の計画が着々と進展する一方で、浴恩園に関する情報は聞こえてこなかった。

2023年3月、都は再開発事業の公募参加者に向けた資料を公表し、本調査が未実施にもかかわらず早くもこう結論づけた。「調査で発見された旧浴恩園の池の護岸等は、現地保存について検討を予定するような重要な遺構ではなかった」

都は今年4月、三井不動産など11社の企業グループを再開発事業者に選んだ。事業者の提案概要には「東京ウオーターフロントの新しい『顔』」「歴史ある『食』や『文化・芸術』を堪能」などと華やかな言葉が並んだが、浴恩園には触れられていなかった。

東京都が公表した、三井不動産などによる再開発の提案概要

東京都は予備調査に続いて2025年度以降に埋蔵文化財の本調査を始めるが、このままでは浴恩園の遺構の存在は顧みられないまま破壊される可能性がある。

◆予備調査は開発地域の3%「開発ありきじゃないか」

長屋さんは「完全に開発ありきではないか。まずは調査をきちんと行い、情報を都民に公開するべきだ」と訴え、「築地市場跡地再開発『浴恩園』を再生させる会」を立ち上げた。

問題提起を受け、市民団体「文化財保存全国協議会」(文全協、奈良市)も7月、庭園の再生を求める要望書を都に提出した。都が公表している予備調査などの実施面積は0.66ヘクタールで開発面積のわずか3.4%。文全協の担当者は「調査は、遺構が保存すべき価値を持つものかどうか見極めるために行う。予備調査段階でも全体の10%は調査するのが普通で、たったこれだけでは検討の材料にならない」と批判する。

文全協の小笠原好彦滋賀大名誉教授は「多くの人が知らないまま、開発が進むのが一番の問題だ。文化財保護法は、文化財を『貴重な国民的財産』と定義している。東京都は情報を積極的に公開し、保存について都民と議論するべきだ」と主張する。

庭園「浴恩園」の遺構が見つかった築地市場跡地(中央)。左手前は浜離宮恩賜庭園=東京都中央区で、本社ヘリ「あさづる」から

「こちら特報部」は事業を所管する東京都都市整備局に、文全協の要望書への対応や、発掘調査の進め方などについて問い合わせたが、「担当者がつかまらない」などとして、期限の9日までに回答はなかった。

◆中曽根行革で調査しながら工事OKに、失われた一級史料も

戦後から高度成長期にかけて「国土開発」の名の下に全国で開発などが進んだ。多くの場所で文化財が見つかり、開発か、保存かの紛争が起きた。

文全協常任委員の勅使河原彰さんは「全ての埋蔵文化財を残すことなんてできない。きちんと残すべき価値のあるものを見分けて残す。だから調査が重要だが、おざなりになるケースが多い」と指摘する。開発側に都合のよい仕組みが徐々にできていったという。

たとえば1964年、文化庁の前身の文化財保護委員会は通知を出し、やむを得ず破壊される遺跡については将来の学術研究に支障のないよう記録を残す「記録保存」を行うことになった。だが、開発側は通知を逆手にとって記録保存すれば開発してもよいと言わんばかりに、住民側の遺跡保存の要望を退けるケースが相次いだ。

中でも、勅使河原さんが大きな転換点になったとみるのが、1985年の文化庁通知だ。それまでは調査が一通り終わるまでは開発できなかったが、調査と並行して工事ができるようになった。規制緩和を進めた中曽根行革の一環だった。「文化財保護は開発業者側にとっては大きな障害だったが、これにより早く開発に着手できるようになった」

この通知の影響を受けたのが1980年代後半、奈良市で出土した、奈良時代の有力者「長屋王」の邸宅跡だ。調査当初から地位の高い人物の屋敷と考えられていたが、所有者が長屋王であることを示す大量の木簡が見つかったのは最終盤だった。並行して行われていた百貨店の建設工事は既に進み、「一級の歴史資料」と言われたが、百貨店側が保存を受け入れず、破壊された。百貨店は10年余で閉店した。「細切れに調査を行っても全体像を把握するのは難しい」

保存が実現したケースもある。佐賀県の吉野ケ里遺跡は当初、工業団地を建設する予定だったが、マスコミ報道を機に全国から見学者が押し寄せるなどした結果、県は開発計画を覆して遺跡の保存を決めた。青森県の三内丸山遺跡も同様に、県が工事を進めていた野球場の建設をやめ保存を決定した。いずれも自治体側が遺跡の情報を開示したことが大きかったという。

◆デスクメモ

勅使河原さんの言うように、すべての埋蔵文化財を残すことは難しい。だが、文化財に価値があるのか十分な調査が終わらないまま、開発工事が先行し、実質的に後戻りできない今のやり方は疑問だ。再開発すべてを否定する気はないが、そのプロセスにはさらなる透明性を求めたい。(岸)

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