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82歳の画家が「死ぬ前に残さなければ」 戦争が題材の絵、命を削って初めて描いた

2024-08-13 HaiPress

初めて戦争を題材に描いた作品を前に思いを語る千葉忠明さん=茨城県阿見町で

◆軽い気持ちでは踏み込めなかった

幼少期だった戦時中に米軍の空襲を体験した画家の千葉忠明さん(82)=茨城県牛久市=が、戦争を題材にした作品を初めて描いた。いつかは絵を通して戦争と向き合うべきだと考えながらも、軽い気持ちでは踏み込めなかったという。数年前から体調面に不安を感じるようになり「死ぬ前に残さなければ」との思いに突き動かされ、平和を願う作品を今春に描き上げた。(佐野周平)

3カ月がかりで完成させた縦1メートル、横2メートルの作品『広島』は、原爆が投下された広島の惨状を木炭とオイルパステルで表現している。黒い空を米軍の爆撃機が飛び、稲妻のような光線が走る。原爆ドームの周囲を逃げ惑う無数の人々は、体が溶けて骨や臓器がむき出しになり、骸骨のようにも見える。

◆父に背負われ逃げた東京での空襲

自身も3歳のときに東京で空襲に見舞われ、父親に背負われながら逃げた。作品にはその記憶も投影されている。米軍機が響かせる地鳴りのような爆音、無数に転がる遺体、体中が焼けただれた状態で逃げる人たち…。肌で感じた戦争の恐ろしさを表現しようと苦心した。

逃げ惑う人々を描く際には、一人一人に気持ちを込めた。徹夜で描いたことはしばしばで、気を張った状態で作業するため、眠れない日が続いたことも。「残酷な絵を描くのは、つらい作業だった。命を削った」と語る。

◆原爆の映画に目を背けた後悔が決意に

戦争から目をそらしたくない―。そう思うようになったきっかけが、小学5年の時にあった。疎開先の新潟県の小学校で、原爆投下後の広島を描いた映画の上映会があった。空襲時の記憶が脳裏に浮かび、全校児童が体育館で鑑賞する間、1人だけ教室に残った。

千葉さんが初めて戦争を題材に取り上げ、平和を願って描いた作品=茨城県阿見町で

画家だった祖父から手ほどきを受け、10代でふすま絵や掛け軸を描く絵師として働き始め、近年は山岳画家として日本各地の山々を描いてきた。大人になるにつれ、「あのとき」に映画を見なかったことを「惨状から目を背け、戦争から逃げた」と悔やむように。「何も表現しないことは、何も感じていないのと一緒。いつかは戦争を題材に描く」という思いを長年、胸に秘めてきた。

3年前、転倒して大けがを負った。加齢による体力の低下も感じ始め、いよいよ戦争を題材に描くことを決意。広島の原爆ドームを訪ねたり、図書館で関連資料を読んだりして、イメージを膨らませた。

長年の思いをようやく形にした今、「一つの大きな仕事が終わったな、という気持ち」としみじみ語る。世界各地で軍事衝突が続く中、「戦争では多くの命が当たり前のように奪われていく。もう二度と、こんな絵を描かなくてもいい世の中になってほしい」と願う。千葉さんの絵は、10月に東京都美術館(台東区上野公園8)で開かれる作品展に出展される。

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