一般市民が主体となって空襲などの被害を軽減する政策「国民防空」。関東大震災がきっかけで生まれたが、太平洋戦争時の東京大空襲など実際の空襲では役に立たなかった。なぜ機能しなかったのか。その背景を、吉川仁(じん)・元首都大学東京特任教授(79)=都市防災=が分析した。世界で戦争や災害が続く今も、教訓は生かされていない。(橋本誠)
吉川さんによると、「国民防空」は欧州を戦場に総力戦となった第1次世界大戦(1914~1918年)後に浮上。1923年9月1日の関東大震災が空襲の火災を想起させ、急速に広まった。

(写真左)「国民防空」に関する資料を手にする吉川仁さん、(写真右)「帝都空襲防護団の活躍」などと書かれた絵葉書の袋=吉川仁さん提供
震災では「軍が派遣されたが、最初の2日、3日は国民をコントロールできなかった」と吉川さん。原因は、朝鮮人が暴動を起こしたとの流言飛語が広まり、各地で自警団が結成されたことに伴うという。
旧東京市役所「東京震災録」によると、軍の記録には次のように示されている。「自警団不摂生の行為等を例証し、以(もっ)て軍事思想普及並びに国防観念涵養(かんよう)の要を深刻に徹底せしむるを要す」「流言とは謂(い)へ帝都二百五十万の市民か少数不逞(ふてい)の徒の為(ため)一時全く其(その)度を失ひて狂乱に陥りたるか如(ごと)き、彼(か)の自警団か其統制宜(よろ)しきを得すして却(かえっ)て公安を害するものあり」──。つまり自警団の暴走を反省し、軍や政府の指導下で訓練することを求めていた。
1928年には最初の「防空演習」が大阪であり、満州事変翌年の1932年には東京で「防護団」が結成された。町内の代表者や青年団、在郷軍人会らで構成され、カーキ色の団服を着ていた。

(写真左)防護団員=関東防空演習写真帖より。吉川仁さん提供、(写真右)1941年ごろ、向島区(現東京都墨田区)で撮影された警防団員=上田廣さん提供
ただ旧東京府市や軍の規約による市民の任意組織のため、吉川さんは「演習で道路を遮断したり、灯火管制で一軒一軒の光の漏れを注意し、何の権限があるんだとトラブルにもなった」と話す。
このため1937年に防空法が成立。防護団は消防組と統合され、公務の「警防団」となり、...
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