
家光の描いた「木菟図」と対面した内藤晴さん(左)と仲村きねさん=いずれも文京区千駄木の養源寺で
徳川幕府の二代将軍秀忠と三代将軍家光が、京都・二条城に後水尾天皇を迎え、5日間にわたってもてなした「寛永行幸」から今年で400年を迎える。京都市を中心に開かれる寛永行幸四百年祭をPRしようと、家光が描いたミミズクとウサギの絵を模したぬいぐるみを連れて京都の大学生が東海道を巡るプロジェクト「家光のゆる絵、東海道をゆく」が行われている。(渡辺真由子)
寛永行幸は、1626年9月、幕府の権威を示すために行われ、天皇を和歌や舞楽などで5日間もてなした。当時京都で花開いていた茶の湯や陶芸、能楽などの文化を、行幸に合わせて京都に集まった大名らが各地に持ち帰ったことで、寛永文化が全国に広がったといわれている。同祭の実行委員長を務める梅原和久・京都府文化政策室長は「行幸は政治的背景だけではなく、文化の継承の上で大きな契機だった」と語る。四百年祭では、行幸を再現する行列や能公演などが開かれる。

徳川家光による「木菟図」
同祭を盛り上げるプロジェクト...
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